【主な経歴】
1989年生まれ 千葉県生まれ、京都府育ち。
中央大学法学部法律学科卒業。
一般企業に就職後、民青同盟東京都委員会で6年間専従者として活動
現在、日本共産党江東地区委員会委員長。
趣味:将棋(五段)、各種スポーツ。
江東区では、5年間で7人の自民党政治家が逮捕、もしくは起訴されました。
政治資金パーティーも開かず、企業団体献金、政党助成金を受け取らない唯一の政党、日本共産党の小堤東に、汚職腐敗の政治を根絶し、くらし第一の政治へ、皆さんの願いを託して下さい。
大激戦、大接戦です。ご家族、お知り合いにぜひお広げ下さい。
1989年4月、千葉県で生まれました。父の転職で1歳半で京都嵐山に引っ越し。川と山がある風景の中で育ちました。
保育園で見かけた『ピカドン』という原爆の絵本が怖く、戦争は絶対にいけないと幼心に思う。小学校の社会科の授業で憲法9条を学び、「戦争しない日本に生まれてラッキー」と思ったことをよく覚えています。広島への修学旅行では、学校を代表して原爆の子の像の前でスピーチをしたことも。
習い事は、将棋、卓球、水泳をやりました。将棋では、小学校6年生のときに京都府で2位になりました。そのときに準決勝で勝った相手はその後プロ棋士になり、その後今をときめく藤井八冠にも勝ったとか。「藤井八冠に勝ったことがあるプロ棋士に、昔勝ったことがある」が最近になってのプチ自慢です。
中学では、バドミントン部に入り、それまでの習い事はすべてやめてしまいましたが、結果的にバドミントンが一番向いていてシングルスで京都府3位に。 高校は、京都市立堀川高校の人間探究科へ。「二兎を追え」というスローガンで、勉強も他のことも頑張ろうという前向きな校風が大好きでしたが、最初の数学のテストで37点をとるなど、勉強では挫折の日々。自分の意見をぶつけあえる仲間が多く、自分らしさにより磨きがかかったように思います。探究基礎という論文を書く授業では、当時の小泉首相が持ち出していた憲法9条の解釈改憲に反対する論文を書いたのは懐かしい思い出。相変わらず憲法9条が大好きで、中央大学の法学部に進学しました。
入っていたバドミントンサークルは友人にも恵まれいつも楽しかったです。ただ、サークルができてから45年間、運営のルールが変わっておらず、「主将には男性しかなれない」などの男尊女卑のルールもあり、「これおかしくない?」「変えよう」と行動するなど、当時から「おかしいことは変えていきたい」と思う人間でした。
アルバイトは個別指導の塾講師。競争教育で落伍し、「自分はできない人間」と決め付けてしまっている生徒にたくさん出会う日々。そんなある日、100点満点のテストで毎回10点台をとる生徒が、好きな歌手の歌を全部覚えていることに気づきました。歌詞をノートに書き出してもらうと、「自分はこんなにも覚えることができる」と彼は自信を取り戻し、次の定期テストで点数が50点あがったことも。点数のことよりも、自分に自身を持ってくれたことがうれしかったです。
大学3年生の12月に友人に誘われて民青同盟に加盟。みんなで行った児童養護施設フィールドワークでは、いきなり子どもにパンチの雨を浴びせられ困惑しました。
「この子は虐待で親元を離れて3週間。まだ、暴力以外でコミュニケーションがうまくとれません」との話に衝撃を受けました。民青ではそこで終わらずに、虐待が起こる背景まで学び、親だけの責任に出来ないこと、その親もたとえば片親でダブルワーク・トリプルワークなどでストレスがたまり、虐待になってしまうケースもあることなども知って、「この子にあらわれている暴力は、日本社会のゆがみの縮図だな」と感じたことも覚えています。
民青に加盟して、日本共産党の綱領を学ぶ中で、大学の授業もより楽しくなりました。高校と違って大学からは「正解がない」とよく言われますが、それぞれの教授がどういった立場を代弁する人なのか、何よりも人権を大切にするのか、はたまた財界の利益を代弁しているのかなど、立体的に捉えられるようになるとともに、「それに対して自分はこう思う」としっかり意見を言えるようになっていったと思います。
民青に加盟後すぐ、東日本大震災が起こりました。当時就活中でしたが、すべてがストップ。民青の活動で被災地にも何度も足を運びました。そうした現場で頑張っていたのは日本共産党の方々でした。
長時間労働、格差と貧困、気候危機、こうした問題がある中で、「人類はこのまま資本主義で終わるわけがない」「労働時間を抜本的に削減し、もっと自由に生きられる社会を」と日本共産党の綱領にも共感。社会を変えたいと本気で考え行動している仲間にも恵まれ、当時中央大学の民青の活動の援助をしてくれていた前衆議院議員の池内沙織さんの後押しもあり、4年生の10月に入党を決意しました。
大学時代の民青と日本共産党の活動を通じて、一番良かったと思っていることは、「自分の正義感を正しく発揮し、社会に反映させる場を得たこと」です。
それまでも9条を守る日本共産党は好きで投票はしていましたが、たとえば、「消費税増税は国家財政が苦しいから仕方ないかな」などと思っていました。これは、本当に苦しんでいる人の実態を知らないから、また、消費税以外に財源があることを知らないからそういう発想に留まっていたわけですが、しっかり学んで自分の正義感に問いかければもちろん「消費税増税は許せない」がこたえになりました。学ぶことで、自分の正義感と自分の発言に整合性が出ると思いました。
また、理論面だけでなく、一つひとつおかしいことを「無理だ」「そういうもの」と言ってスルーしないこと、「おかしい」「なんとかしよう」と思って実践する場があることを知ったことも大きな財産でした。
学生時代の民青のフィールドワークで労働組合の話を聞きにいったこともあり、卒業後は、労働組合にコンサルティングサービスを行なう一般企業に就職。その後、「民青同盟で働かないか?」というお誘いを受けました。当時の一般企業での仕事は、「自分が仕事をすることで、社会を後ろ向きに進めているのではないか」と感じることも多く、自分の24時間を社会を前進のために使える民青の専従者の仕事は大きな魅力で、率直にやりたいと思い、道を歩み始めました。
2013年から民青都委員会で6年間活動。この間、2000人以上の若者と街頭で対話してきました。
高学費に加え、奨学金は世界でも異常な借金。労働法はどんどん改悪され、若者の2人に1人は非正規雇用…。実態を集め、国会に届ける。一緒に行動をする民青の仲間を増やして、地域・職場・学園で一緒に運動を進める日々でした。自己責任論が振りまかれる時代に、「自分じゃなくて労働法違反をする企業が悪い」ということがスパッとわかる「ブラック企業」という言葉を流行らせた吉良よし子参議院議員の当選を勝ちとったことは青年にとって大きな出来事でした。
2015年の戦争法のたたかいでは、多くの青年が立ち上がり、国会前でも時代が前に進む音を腹で感じました。一番の思い出は、当時担当していた首都大学東京の民青のメンバーが学内で100人以上の学費アンケートを集め、都議会に要請したこと。実態の中には、「母子家庭で生活保護。昨日は500円のコンビに弁当を買ってしまって贅沢してしまった」など学生の貧困の声が多数。日本共産党都議団の議会での追及もあり、授業料免除の人数制限枠を取り払って、基準に当てはまればすべての学生が授業料免除を受けることができるようになったときはすごくうれしかったです。
民青を卒業した後は、日本共産党の江東区での活動へ。民青時代にも江東区が担当地域でたくさん活動してきました。大学で東京に出てきてからは、色々な場所に住みましたが、江東区がダントツで一番。実家が川に囲まれた地域で、川がたくさんある江東区は自然と安心します。住まいも川のそばを好んで選びました。
2020年からは地区委員長に。江東区でも若者の声を聞く活動を継続し、特に力を入れているのは、高校門前宣伝。先日は、ある都立高校で「ツーブロックは禁止という校則を変えました!」といううれしい報告も聞きました。日本共産党都議団のツーブロック禁止などの無駄な都立高校の校則を追及した動画は、ツイッターで高校生にもたくさん見られていて、大きな影響を与えていることも実感できました。
日本共産党江東地区委員会では、1500人以上の方からコロナに関するアンケートにこたえていただき、生活相談や補助金申請の相談、そして政策提言にもつなげてきました。
「売り上げが落ちて店を閉めるしかない」「仕事を解雇されてしまった」「学校がなくなって鬱になった」など、若者からお年寄りまで、たくさんの声を聞いてきました。
新自由主義の弱者いじめの自民党政治を根本から転換させないと、みんな暮らしていけません。物価の高騰も非常に深刻です。自民党政治は、財界のコストカットの要望にあわせて、大企業には大幅減税を行い、非正規雇用を増やす法改正も行ってきました。一方で、国民には低賃金、消費税増税、社会保障切り捨てが押し付けられる中、先進国で唯一実質賃金があがらない「失われた30年」になってしまったのではないでしょうか。軍事費もアメリカ言いなりで敵機攻撃能力の保有、ミサイルの爆買いを行い、この2年間だけで見ても2.5兆円も増えています。これだけあれば、大学や専門学校の学費半額、高校生の授業料の無償化、学校給食の無償化もすべて実現可能です。今こそ、財界やアメリカではなく、国民のための政治に切り替えていくことが求められています。
江東区で、この5年間で7人の自民党政治家が逮捕・もしくは起訴され、全国でも有名になってしまいました。これに伴い、2023年12月には区長選が行われ、2024年4月には衆院東京15補選が行われます。江東区から汚職・腐敗の自民党政治を一掃することが必要です。
公選法違反で逮捕・起訴された柿沢未途前衆議院議員(自民党離党)は有罪判決が確定しましたが、裁判では「お答えを差し控える」と50回以上も連発したそうです。柿沢氏からお金を受け取った3人の区議会議員(自民会派離脱)の裁判を控える中、柿沢氏は国民の前で事実を明らかにするよりも、お金を渡した仲間を守る姿勢です。今の裏金国会を見ていてもそうですが、自民党に任せていては、事実も明らかにならない、汚職腐敗の一掃は到底期待できない、これが国民の皆さんの共通認識になってきているのではないでしょうか。
日本共産党のわたくし小堤東は、政治資金パーティーを開かず、企業・団体献金も、政党助成金も受け取らないクリーンな政治を実践してきました。自民党の裏金問題が明らかになったのも、「しんぶん赤旗」のスクープがきっかけです。江東区議会では、柿沢氏からお金をもらった3名の自民党区議会議員に対する辞職勧告決議を賛成多数で可決しました。この火付け役となったのは、日本共産党区議団です。昨年の江東区議選で、3議席から5議席へと躍進して獲得した議案提案権を活用し、辞職勧告決議案を提出しました。これを受けて、自民党と公明党は、自民党政治の汚職・腐敗を許さない世論の高まりにも押され、日本共産党とともに辞職勧告決議案を出すこととなり、賛成多数で可決しました。日本共産党が伸びれば政治が変わる、議会をクリーンに変えていく一番の力になります。
来る東京15区補欠選挙は、汚職腐敗の一掃へ、全力をつくして頑張ります。