和田正子 日本共産党 衆院東京26区

プロフィール

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和田正子

和田正子Masako Wada

【主な経歴】

●福島県出身
●久が原共同保育園長として15年。太田区議会議員4期。
●党区議団幹事長、区議会健康福祉委員長・防災委員長など歴任。
 現在は党大田地区常任委員。党26区ジェンダー平等委員会責任者。
●家族は夫、3男。趣味はハイキング、旅行、合唱など

ご挨拶

和田正子

希望ある新しい政治をごいっしょに

石破茂首相は、憲法改正や日米軍事同盟の強化、アジア版NATOの提唱など、戦争する国づくりへ進もうとしています。
裏金事件の再調査にも後ろ向きです。
私の故郷は原発事故のあった近くです。原発の再稼働など、とても許せません。
みんなが平和で安心できる国に変えるため、みなさんと力をあわせます。
ご支援よろしくお願いいたします。

「和田正子さんってこんな人」インタビュー

生い立ち

 福島県川内村生まれ。小さい時は「おてんば」。お父さんから、「青いいちごはとってはいけない」と言われていたのにとっちゃうような子だったとか。
 走るのが得意。小学校6年生の時には、地区対抗リレーでアンカーになった。アンカーから走り出して、全員抜いて1位になった。

保育士の資格を取得して。保育士として働き出した。

 1983年に3男を出産直後、求められて、いきなり1年目から久が原共同保育園の園長になった。
 園長として心がけていたのは、子どもを型にはめないでのびのびと育てること、保護者と一緒によい保育をつくっていくこと。食事を園内で手作りでつくったりした。保護者と一緒にバザーをしたこともよい思い出。ご縁があり、北海道から10トントラックでジャガイモを取り寄せてバザーに提供したことも。保護者も配達を手伝ってくれたなど楽しい思い出。

国連に

 もともと夫と一緒に南部合唱団で合唱をしていた。
 1982年第2回国連軍縮特別総会に、音楽代表として南部合唱団から参加。この時に団長はいずみたくさん。ニューヨークで、100万人のピースパレードに参加した。
 今回被団協のノーベル平和賞受賞を聞き、「私もその一つの力になれたかな」と特別な思いを抱いている。

大田区で区議に

 2011年に保育士仲間からの推薦で、日本共産党から大田区の区議に立候補、当選。以降4期16年区議を務める。
 この時も「最後の一人が決まらない」という中で、「みなさんが求めているなら!」という思いで、2―3日考えて、立候補。
 保育士として、日本の政治は子どもを本当に大事にしないとの思いをもっていた。区議会にも陳情を出し、傍聴にも行っていたけれど、区議会での議論を聞いていると「現場はそうじゃない」と思うことが多かった。そういうこともあったので、大田区議として働きたいと思った。

大田区議としての実績

 たくさんの実績はありますが、ぱっと思いだすのは、以下。
●多摩川堤防と公道との間の階段にスロープをつけたこと
 堤防からすぐに公道で、しかも車両通行の多い道路のため、子ども達が飛び出すことも多くて、危険だった。住民のみなさんと一緒に、国土交通省に説明、交渉に行き、スロープをつけることをした。

●千鳥町駅の東口改札設置
 以前、千鳥町駅には東口改札はなく、千鳥町駅利用のみなさんが蒲田駅にむかうためには、西口から駅構内に入って、橋をわたって東口にわたり、電車に乗っていた。不便なので東口に改札を作って欲しいという声があった。これが区議として1番最初に実現した政策。

●たまちゃんバス
 矢口、下丸子でのコミュニティーバスの循環を実現した。

●小児救急診療の実現
 以前、子どものための夜間診療はなかった。しかし、小さな子どもを持つ父母などから夜中に子どもが体調を崩した時に診察ができないことが不安だとの声があった。医師会ににかけあったりした。他会派からもいいねと言われた政策。

福島

 福島をみても、能登をみても、災害がおきた時の緊急対策を学んでいないと思う。最優先して予算をつけなければならないところが違う。災害にあって困っている人達にすぐに手を差し伸べる国政であってほしい。
 原発については、一度おきたら終わりがない。原発からは手をひくべきだと思う。

立候補の決意

 26区で白紙で投票するしかないとの声をきき、候補者擁立は、立憲野党としての有権者への責任だと思った。9条を守り、平和を守り、戦争をさせないことを望む有権者の声に応えたいと思った。今回の立候補は即日判断。