この世界の片隅で…
昨秋の寄稿で「イスラエルで1人亡くなるとパレスチナで20人、イスラエルで1,000人ならパレスチナで20,000人亡くなるまで攻撃は止まりません」と知ったかぶりの「法則」を書いてしまいました。その後の状況は世界の誰もが知っているとおりです。
ウクライナへの攻撃を止(や)めないロシア、イスラエルによる虐殺を止(と)めないアメリカ…国際社会、国連は何をしているのかと思ってしまいます。
同じことは日本の憲法や司法にも言えます。侵略戦争の責任の上に崇高な理念を宣言したはずなのに、80年近く経っても実現しないばかりか、否定する動きが強まっているようにすら感じます。
では、国連は、日本の憲法はダメなのか。いや、そんなはずはありません。もし国連がなかったら、世界の平和、命、人権への想いはどこで一つになれるでしょう。もし憲法がなかったら、日本でそうしたものを求める闘いは何を拠り所にできるでしょう。
先人の到達点をふまえ守りながら、私たちが大切に想う理念を一歩ずつ現実のものとしていくことです。
それは一人ひとりの生き方にも言えるかもしれません。できないことがあっても、大切に想うことをあきらめてはいけません。踏みとどまることなくして、新たな一歩は生まれないからです。
目白台後援会 神子