
【生年月日】
1977年10月21日
【学歴】
国分寺市立三小と二中、都立府中農業高校卒業
【職歴】
資源物・廃品輸出処理会社、清掃会社などを経て、
現在、日本共産党国分寺市議団事務局長。
・国分寺市廃棄物減量等推進委員
・国分寺ぶんバスを良くする会事務局長
【趣味】
ギター・ベース演奏、音楽鑑賞、園芸
【家族など】
妻、父、伯母 国分寺市本町4丁目在住
2018年に「共産党=パンクだ!」と知り日本共産党入党

私は国分寺で育ち、暮らしてきました。新型コロナウイルス感染症が続く中、会社の経営が厳しくなり解雇される事態でした。一方で、大企業は利益を上げ、史上最高の内部留保があることに矛盾を感じます。強いものだけが生き残れるような社会から、困っている人たちに寄り添える社会にしたい。それが私の活動の原点です。福祉、教育、環境などみなさんの切実な声を国分寺市政へ届け、願い実現のお役に立ちたいと決意しています。

子どもの頃は日立中央研究所と花沢都営の間にあった小川や野川でザリガニ釣りや空き地で野球や缶けりをして遊んですごしました。

金沢がくとは、バブル崩壊後の就職氷河期世代。 昨年、コロナ禍の影響で輸出が不可能となり、会社が経営不振に陥り、解雇されました。金沢がくとは、仕事と政治、生き方を結びつけて深く考えるようになりました。再就職後、少なくない市民が同じような問題をかかえていることに気がつきました。みなさんと老後の心配がない、貧富や格差に悩まされることがない、少しでもよりよい政治を実現したいと情熱を燃やしています。

私の祖母は、戦中に、向島で東京大空襲に。祖母から「戦争だけは2度とするものではない」と小さい頃からいつも言われて育ちました。
私は、祖母の思いを継いで、戦争をしない国をつくる先頭に立つ決意です。

1960年代後半から70年代のパンク音楽には「権力に屈しない」「自主独立」という精神があり、私は好んで視聴・演奏してきました。
また米国の黒人ジャズ演奏家が黒人差別撤廃を求め、公民権運動に積極的に関わっていった歴史を学び、「差別はおかしい」「人権を守る社会を」と声をあげる生き方に惹かれるようになっていきました。
その後、日本共産党が反戦平和、差別根絶や人権擁護のために、自主独立の立場で活動してきた党であることを知り、まさにパンクと同じ志で活動してきた政党だと感じ、2018年に日本共産党に入党しました。
私は資源物の回収などを担う仕事をしていた経験から、大量生産・大量廃棄をつづける社会のあり方に疑問を感じてきました。
2023年から市の廃棄物減量等推進委員会の一員として、小学校での出前授業に参加。講師を担った際は、ごみの出し方、分別→資源→再利用→ごみ減量となるプロセスや、プラスチックによる環境汚染問題、プラごみ減量の大事さを伝えました。