文京区には旧・陸軍の兵器工場があった…
東京ドームや後楽園、礫川公園の敷地には明治4年から昭和10年迄、陸軍の兵器工場(砲兵工廠)が置かれていました。関東大震災(1923年)で罹災した為、九州・小倉へ移転されましたが、昭和20年の終戦の際、兵器工場の資料は軍事機密だったため焼却されたと言います。
この兵器工場には製造した小銃類の弾道実験を行う「髄道」(トンネル)があり、第2次大戦後はライフル協会が旧大蔵省に申請して射撃練習施設として平成11年迄使われていました。延長280mで、煉瓦はイギリス積みで構築されており、明治16年前後には素掘りで状態であり大正期にかけて敷設されたと言います。(「遺跡学研究」第12号2015「旧・陸軍砲兵工廠内射撃用隧道の平和教育利用について」加藤元信・加藤寛子)
こうした戦争遺構は兵器製造の遺構として後世に伝え、戦争、殺戮といった過ちを繰り返さないためにも保存・活用が求められます。
2月議会の党区議団の代表質問で区長にこのことを提案します。