佐々木あつ子

プロフィール

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佐々木あつ子

佐々木あつ子Sasaki Atsuko

【主な経歴】

・1957年生 福岡県飯塚市生まれ
・1999年市議会選挙 初当選 現在6期目
・副議長 厚生常任委員長 庁舎建設特別委員長を歴任
・現在、建設環境常任委員 柳泉園組合議会議員
・家族 夫 一女一男 ネコ

入党の動機

佐々木 あつ子

「平和」と「いのち」が原点

*海軍少年兵だった父

父は、昭和20年。10代で「予科練」に入隊「神風特攻隊」に指名されました。いつ飛び立つか、同僚が次々と戦士していく不安な日々を過ごし、1945年8月15日の「終戦」で救われたという父の話が脳裏に焼き付いています。ロシアによるウクライナ侵略に、戦前の日本が重なります。戦争する国ではなく憲法9条を生かした平和外交の国をこそと思っています。「平和」がわたしの強い思いです。

*看護師だった母

母は、外科の手術室で働く看護師でした。戦後の食糧難の時代、近所の困った人に「これを食べてね」とふるまうような人でした。私が医療の道(臨床検査技師)を選んだのは母への強い憧れがあったから。
人の命と暮らしをまもる「医療と福祉」。国会や医療現場でこの問題を一貫して追求する日本共産党に出会い、私は自分の生き方に迷うことなく入党しました。

いまも医療現場に

今も医療現場に臨床検査技師として、今も患者さんのエコー検査をしています。 早期発見、早期治療につながるように技術の研磨と患者さんに向き合う姿勢に心を砕いています。

佐々木 あつ子

「痛み」はほっとけない 「死ななくてよかった」という人に出会えて(生活相談)

「痛みはほっとけない」
市民から寄せられた悩みや困っていることに正面から向き合って活動。
政治の悪さを一緒に感じて市民と一緒に乗り越えようといつも親身に活動。
「それならあつ子さんへ」
市民のなかには「それならあつ子さんへ」と人づてに生活相談が入ります。「仕事がなくなって収入が途絶えて困っていた。弟から佐々木さんのところに行けと言われてきました」と。私はお話をよく聞いて、一緒に生活保護の申請へ。アパート探しもお手伝い。「死ななくてよかった」と言ってくださいました。