千田えみ子

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千田えみ子

千田えみ子Senda Emiko

【主な経歴】

・1957年東京都豊島区生まれ。文京区千石3丁目在住。
・化学と数学が根っから好きで東京薬科大学へ入学。
・1980年薬剤師国家試験合格後、薬剤師として調剤薬局勤務。
・1999年長男(当時6歳)が千石1丁目交差点にて交通事故に遭う。その後遺症で脳障がい児となる。
・人工硬膜薬害ヤコブ病訴訟、B型肝炎訴訟、薬害イレッサ(肺がん治療薬)訴訟、子宮頸がんワクチン訴訟など数々の薬害訴訟や公害訴訟に原告や弁護団とともに取り組む。
・また、薬剤師として地域住民の命と健康を守ることに関わりながら行政の医療問題にも取り組む。
・ノーモア水俣東京支援連絡会事務局など歴任。
・2023年区議初当選

ご挨拶

千田えみ子

もろい保健所で命を守れますか?

2022年1月の国内のコロナ感染者は、ピーク時の2021年8月を超える約323万3000人。1月の死者数は1万124人、感染拡大以来初の1万越えで引き続き医療体制が深刻です。
文京区では、2021年8月のピーク時(7月30日~8月7日)には1日で3927人もの新規感染者が出て、保健所は人員不足で対応できず、自宅待機者の健康観察を民間会社に委託するなど深刻な事態になりました。体制のもろさの原因は、2か所だった保健所を1か所に削減したことと、保健所費を低く抑えたことです(低さで文京区は23区中ワースト2位)。こんなことを繰り返すようでは区民の命は守れません。
私は、新たな感染症対策として保健所職員の増員と本郷保健所の復活を強く求めていきます。

障がい者へのしっかりした支援を


やっと笑えるようになった息子と

 


癌研の薬剤師として勤務中の私

小1だった息子が1999年11月、交通事故に遭い、後遺症のため脳障がい児となり、「3級障害」と認定されました。仕事をしながら単身で障がいのある子どもを育てることへの覚悟はありましたが、辛いことの連続でした。施設で息子は床掃除など他の人が笑顔になることに黙々と頑張ります。そんな姿に、私の深い悲しみが少しずつ溶けていきました。
現在(2023年)31歳になった息子は、グループホームに入居しています。福祉作業所の工賃月2万円の収入と障害者年金・福祉手当の支給はありますが、一人で暮らすことは困難です。
文京区には、障がい者が入居できる施設が少なく、支援制度も不十分です。私は、障がい者をしっかりと支える施設と、支援制度の拡充も行いたいと思います。

公害・薬害患者を支える社会を


メーデー中央会場で壇上から訴える=21年5月1日

息子の後遺症が縁で水俣病やヤコブ病などの薬害訴訟支援運動に参加するようになりました。支援者の方が「原告から元気をもらう」と語った言葉に驚き、感動したことを覚えています。仕事をしながら障がいを持つ息子を育てる中で、私も大きく変わりました。他人の苦しみ、悩みを自分のこととして受け止めることができるようになりました。そして、訴訟支援を通して、一人だと非力だけど、仲間が手を繋げば、社会を変える力になることも学びました。
公害や薬害などで苦しんでいる人たちを政治が直接支える―こんな当たり前な社会をつくることに、私は全力を尽くしたいと思います。

※ヤコブ病とは?・・・脳に異常なプリオン蛋白が沈着し、記憶障害や歩行困難、脳神経細胞の機能が障害されます。日本では毎年100人から200人の発病が確認されています。

私たちの後継者です

萬立幹夫
国府田久美子

萬立幹夫 前区議会議員
私の健康状態がおもわしくなく、「ぜひ後継者に」とお願いしたところ、千田さんは「三日三晩寝れなかった」と悩んだことを語りました。それでも、「私が今まで悩み苦しみ、乗り越えてきた経験をいかして政治を変えていければ天命です」と決意してくれました。

国府田久美子 前区議会議員
千田さんとは、ご長男の事故以来のご縁です。障がいを負った子を育てながら薬剤師という専門職をもち、平和・働く人の運動や公害患者支援にとりくみ、いつも前を向いて歩く、明るく強い女性です。私の後継者として最も相応しい人だと確信しています。