内野なおき

武蔵村山【令和5年度特別展】武蔵村山の遺跡に学びました。

2024.01.28

1月27日(土)午後2時より、
市立歴史民俗資料館で行われた歴史講座「武蔵村山の遺跡」に参加しました。

武蔵村山市は「縄文中期(約5,500年前)から人類が生活し始め、その後何らかの原因で一旦途絶え、弥生後期(約2,000年前)から現代にいたるまで生活した痕跡がある」と学んでいたのですが、
実際には旧石器時代(約2万5,000年前)のナイフや尖頭器などが発見されていたと聞き、
「生活していた時代よりも昔の品が発見されるってどういうこと?」と疑問に思っていました。

ところが今回の講座で、「生活していた痕跡は遺構(住居や墓など)、石器や土器などは遺物。遺構や遺物をまとめて遺跡と呼んでいます。旧石器時代などは狩猟生活で短期間の滞在はあっても、定住生活は農耕生活が始まった頃からです」と言われ、スッキリ。
学生時代に習った、縄文時代=狩猟生活、弥生時代=農耕生活という認識を数十年ぶりに改める機会となりました。

また、本市で出土した「加曾利E式」と呼ばれる縄文時代早期の土器は、
口縁部と頸部、胴部で縄目模様の付け方が異なると説明され、またまた目から鱗でした(゚д゚)!
口縁部は、縄文時代中期後半、東京西部地域に多く見られる「加曾利EⅠ式」なのですが、
頸部は、甲信地方多く見られる「曾利Ⅱ式」、胴部は南東北などで見られる「大木8b式」とのこと。地域ごとに発達した模様の付け方や形が時代とともに混ざり合う理由として考えられるのは婚姻などによる移動が大きいのではないかとの事でした。
今ほど大規模な移動や遠距離恋愛というよりは、数千年の年月の中、
東北地方の縄目模様が甲信地方を経由して武蔵村山に持ち込まれたということが一つの土器を通じて感じることができ、とても浪漫を感じる内容でした。

今回は旧石器時代から古墳時代あたりまでの遺跡に特化した講座でしたが、
奈良時代、平安時代、江戸時代など、時代とともに栄枯盛衰を繰り返す武蔵村山の歴史をさらに知りたくなりました。

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