【主な経歴】
■1979年武蔵村山市本町生まれ。長円寺(まどか)保育園、一小、一中、立川高校、国際医療福祉大学を経て作業療法士として駒木野病院に7年間勤務。
■2011年武蔵村山市議選に30歳で初当選し、現在4期目。
■趣味は野球、自転車、読書、ケーキ作り
学生時代は色々な人に支えられながら割と自由気ままに生きてきました。
ところが、大学1年時の精神疾患の方との出会い、就職してからの認知症高齢者との出会い、経済格差などに直面したことで、「困っている人のために役に立ちたい」と思ってOTとして働いてきたつもりが、知らないうちに〝お金のある人〟の支援しかできていない事実に気づき、「このままではいけない」と強く思ったことが、政治を意識するようになった私の原点です。
自民党が進める自己責任を押し付ける冷たい政治は、子どもや女性、高齢者、障害者といった弱い立場の人にばかり「痛み」が押し付けられています。
国民に不安をあおり、「戦争する国づくり」や「原発再稼働」に突き進み、そのツケを庶民増税か国債で賄おうとする「亡国」政治を、国会にもはからずに勝手に決めています。
税金を正しく使い、大企業や大金持ちに能力に応じた負担を諸外国並みに求めれば、誰もがその人らしく、安心して暮らせる社会にすることは十分に可能です。
日産自動車村山工場で働く父とホームヘルパーの母親の間に生まれ育ちました。特に父親は職場の労働条件を改善するための組合活動で忙しく、運動会や学芸会などにも顔を出したことはありませんでした。
小さい頃は「何でだろう?」と疑問を抱くこともありました。しかし、今では〝他人の幸福のために汗を流す〟両親を理解できるし、尊敬もしています。
小学校の時は少年野球、中学校では卓球部、高校ではハンドボール部に入部。大学時代は障害者乗馬サークルを立ち上げ、スキューバーダイビング、熱気球部を兼部するなど、一度きりの人生だからと色々な事に挑戦してきました。
どんな事にも好奇心を忘れない気持ちは市議の仕事にもとても役に立っています。
また、現在でも学生時代の同級生と一緒に草野球チーム(ガッキーズ)を結成し、市内の軟式野球連盟に所属し、汗を流しています。
高3の夏に祖父の見舞いで病院に行き、その存在を初めて知り、作業療法士を目指しました。大学1年の時の実習で訪れた精神病院で「社会的入院」の患者さんと出会い、「何でこんなに優しい人が長期入院しているのだろう?」という衝撃が忘れられず、他の領域も学びましたが、資格取得後の就職先として選んだのは八王子市の駒木野病院(精神科)でした。
3年目から担当した認知症病棟は、他の施設や在宅では対応が難しい症状のある方を担当。数分前のことも忘れてしまう認知症高齢者が戦争体験を克明に語る姿を目の当たりにし、認知症になっても忘れることがない「戦争とは何なのか?」と興味を抱くようになり、父親の紹介で原水爆禁止世界大会に参加しました。
自らのやけどの痕を見せながら「ピカドンは私の身体と人生を奪ってしまった。この経験は誰にも味わってほしくない」と訴える被爆者から戦争の悲惨さと愚かさを学びました。
病院業務の他に、八王子市内にある地域包括支援センターに出向し地域のケアマネやホームヘルパーの方達に対する「認知症相談」も担当しました。そこで、すぐに入院治療が必要にもかかわらず、経済的な理由で入院できない事例に遭遇しました。
それまで病院で診てきた患者さんの多くは男性でも女性でも高学歴であったり、定年まで仕事をされている方ばかりだったので「高学歴だったり、バリバリ働いていた方の方が症状は激しくなるのでは」との誤った認識が一変しました。
困っている誰かの役に立ちたいと思って作業療法士になったにもかかわらず、「必要な医療もカネ次第」という日本医療の矛盾から政治の役割を意識するようになり、日本共産党に入党しました。
2010年8月、現職の今野あつし市議が44歳の若さで急逝。地元市議から「あなたの経験を市政に活かさないか」と声をかけられました。悩んだ末に「やらずに後悔するのは嫌だ」と立候補を決意。2011年の市議会議員選挙で31歳で初当選しました。
初当選してからまず取り組んだのが小中学校普通教室へのエアコン設置問題。当時は校長室と保健室、音楽室、PC室にしかエアコンはなく、教室内は扇風機のみ。真夏の教室の温度が34℃を超え、具合が悪くなる児童・生徒の話を議会で取り上げ、市民から署名を集め、東京都への要請を繰り返し行った結果、全ての小中学校の普通教室、特別教室、体育館にエアコン設置が実現しました。
また、学校トイレの洋式化も全体で61.5%まで進みましたが、体育館に限っては28%という状況です。引き続き、子ども達が安心して過ごせる学校環境づくりに全力をあげます。
滞納者の生活状況も聞き取らず、無理な返済契約を結ばせて少しでも滞ると、「誠意がない」と強権的に差し押さえるといった相談が2017年頃に続出しました。
中には〝3人暮らしにもかかわらず、2人分の生活費〟しか計算していなかった市の誤りを議会で明らかにするなど、強権的な徴収業務を改善してきました。
滞納状況の方でも丁寧に話を聞き取り、一緒に解決策を考える窓口対応は、市民の納税意欲を引き出す上で重要であり、誰もが安心して暮らせるまちづくりの基本だと考えます。
「子どもが多すぎて危険」「もう少しおそくまで預かってほしい」との声を聞き、すぐに現地を調査。
中藤学童では廊下で縄跳びするすぐ脇をボール拾いの児童が通るなど、あまりにも危険な場面に遭遇。使用頻度の低い公共施設の活用なども含め、本町学童(新設)、残堀・伊奈平学童など、のべ150人分の定員を増やしてきました。
また、粘り強く質問してきた結果、2015年から18時30分までの延長保育も実現し、保護者から大変喜ばれています。
粘り強く求めてきた「子どもの未来応援プラン(子どもの貧困実態調査)」がまとめられ、子ども達の健康や学力、自己肯定感などに経済格差が生じている実態が明らかに…。
その後、2019年4月から「国保税の多子減免」や「地域未来塾」がスタートし、コロナ交付金による「学校給食の無償化(2020年6月~12月と2023年1月~3月の2回実施)」など、他市よりも子育て支援が強化されています。
日本共産党市議団が行った市政アンケートをもとに、昨年廃止された西部地域のMMシャトルの復活、「買い物や病院に通えない」「免許を返納すると生活できない」といった市民の声を届け、地域公共交通のあり方や安心して住み続けるまちづくりを市民と共同して考えていくべきだと求めています。
国保税や介護保険料の値上げ条例が出されても質疑や討論もせずに賛成してしまう自民党や公明党に対し、市民の負担増にならない提案を求めてきました。国から国保の連続値上げ(財政健全化計画)が押し付けられる中、2021年には国保税率の据え置きが実現。同年の介護保険料の値上げ時も、基金4.5億円の内、4億円取り崩して値上げ幅を最小限に抑えさせています。
宮本徹衆院議員や尾崎あや子都議会議員と連携し、米軍横田基地におけるオスプレイや戦闘機の騒音、パラシュート降下などの危険な訓練の中止を求めてきました。有機フッ素化合物の実態調査にも取り組み、改善を求めています。