山中ちえ子

プロフィール

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山中ちえ子

山中ちえ子Chieko Yamanaka

【主な経歴】

1969年埼玉県久喜市生まれ。 文恵高等看護学院を卒業。
1988年より新井病院(久喜市)、順天堂大付属病院などで働きながら看護師の資格を取得。 27歳から足立区南花畑の増田クリニックで訪問看護に従事。
2000年に介護支援専門員(ケアマネージャー)の資格取得。
2015年、足立区議会議員に初当選 現在2期目、現在、建設委員会、交通網・都市基盤整備調査特別委員会副委員長。足立区総合交通推進会議委員、足立区議会鉄道高架化推進議員連盟副会長、足立区生涯学習振興公社評議員。
家族は、夫と長男。
趣味は、キャンプ、映画・舞台鑑賞

ご挨拶

山中ちえ子

息子が保育園の時、認可保育園を増やして!と運動している子育て中のママ友と出会いました。認可保育園に入れずに困っているお母さん、お父さんがたくさんいることを知りました。 この運動に参加し、区議会の傍聴にも行きました。その中で認可保育園の増設を一貫して訴え続けていたのは日本共産党だけでした。 保育の問題だけではなく、憲法9条改憲や、非正規雇用や過密労働、医療破壊など、人の命を使い捨てにする政治に立ち向かい、人が人らしく行きられる社会を作るために頑張っている日本共産党の活動に共感し、入党しました。 「誰もが安心して働き、子育てできる社会を作りたい」と認可保育園の増設運動や、原発再稼働反対と放射能対策を求める運動に参加してきました。

看護師19年。 看護の現場から、命を大切にする政治への思いを!

中学生の時、病院でやさしく看病された経験から頼りがいのある看護師にあこがれました。高校卒業後に看護師をめざし、准看護師の資格を取得。昼間は、高等看護学院で学びながら正看護師の資格も取り、夜間の病院当直アルバイトを掛け持ちで働いていました。 「大きな病院より診療所の在宅看護を!と、27歳の時に足立区南花畑の増田クリニックで働き始めました。介護支援専門員(ケアマネージャー)の資格を取得し、花畑、南花畑、保木間、西保木間、竹の塚、桑袋などの地域を訪問看護で駆け回りました。その中で、患者さんが必要なケアを受けられない実態に直面して、命を軽視する政治を許すことができない!という思いを強く持ち始めました。

1969年、埼玉県久喜市で生まれました

山中ちえ子

私は双子で、母は二人分の爪切りが大変だったと話していました

自宅の前の公園でいつも遊んでいました

山中ちえ子

20歳の頃。双子の妹とかつらをかぶって。黒い髪が私。

山中ちえ子

15歳当時、両親が離婚し弟と私と妹を母は懸命に育ててくれました。その苦労を知って痛みに寄り添う仕事を志すことになりました。妹とはいまでも時々連絡をとりあい、励ましあっています。

1988年.病院の戴帽式。

山中ちえ子

働きながら学びやっとこ看護師資格をとりやっとナースキャップ。この日ばかりはふだんこわい婦長も優しかった。

救急病院勤務のころ

山中ちえ子

朝早くから攝子(せっし=ピンセットのような医療器具)洗いや減菌病棟では検温をし、午後は急いで学校に向かう日々でした

2009年、わが子に離乳食を。

山中ちえ子

「認可保育園増やして!」の運動に参加。

山中ちえ子

訴え続けていたのは、日本共産党だけでした

認可保育園42箇所増設実現!

山中ちえ子

区民と日本共産党が一緒に運動して実現しました!
本会議だけで20年間で48回質問して増設を一貫して求めてきました。「認可保育園つくって」のママ・パパの運動と力をあわせ3年で42園の大増設を実現。
学校統廃合を凍結に!
地域住民・父母、教育関係者と声をあげ、入谷地区の統廃合計画は事実上中止、花畑地区では凍結となりました。
介護人材確保の支援策を拡大!
日本共産党が繰り返し提案する中で、介護人材の確保・定着へ介護職員宿舎借り上げ支援の拡充への一歩が実現の方向。
全小中学校教室にエアコンを設置!
夏災害時に避難所となる学校体育館へのエアコン設置を他区での導入例を示して強く実現を求めてきた結果、区が設置を表明しました。

ブンブン号の社会実験はじまる!

山中ちえ子

路線バスの減便が続く地域で、増便を求めて区民が声をあげ運動になりました。日本共産党足立区議団は区民とともに区民の足の確保を訴え、やっと区の交通網対策が進み、2021年10月から花畑桑袋団地と六町駅を結ぶ「ブンブン号」の社会実験が始まりました。社会実験はバス運用の採算をはかるためですが、採算だけで判断するのではなく、商店街や生物園などを結び地域住民が楽しく生きられる街づくりのひとつとして考えるべきではないでしょうか。
ブンブン号の乗客は少しづつ増えています。日本共産党と私は区民の熱い想いを議会に反映して実行運航を目指します。さらに、「小さな交通」のグリーンスローモビリティを求め区政を動かしていきます