原爆犠牲者追悼式
江戸川区の葛西地域にある滝野公園に、原爆犠牲者追悼碑があります。毎年、7月の第3日曜日に式典が行われてきました。今日も、被爆者の方を中心に、区長、議員はじめ、たくさんの区民が参列し、献花しました。コロナ感染症拡大によって、室内の式典ではなく、原爆の碑の前での献花だけ行うという形で、3年目となりました。日本共産党からは、原純子都議、瀬端、小俣、牧野、そして私の5名が参加しました。核兵器禁止条約締約国会議に日本政府はまったく参加しません。日本共産党区議団は、常に、核兵器廃絶を訴え、区長に質問しています。
会場には、テントがあり、広島に投下された「リトルボーイ」が展示され、冷たい水も準備されていました。昼頃に激しい雨が降り、式典ができるか心配でしたが、式典・献花がはじまる時刻には雨もやみ、親江会会長挨拶で始まり、一年間にお亡くなりになった8名(広島4名、長崎4名)の方の名前が紹介され、慰霊碑に名前が刻まれていることを紹介しました。区長挨拶のあとは、参加者全員の「原爆を許すまじ」の歌声を響かせました。そして、全員の献花です。アコーデオン伴奏は、かつて江戸川区で教員をしていた榎本さん。伴奏があると、声がそろいます。準備をされた皆さん、ありがとうございました。
自転車の乗った小学校2年生の男の子が何だろうと参加者の輪に入ってきました。私は、男の子に、原爆という爆弾が77年前に日本に落とされ、一発の爆弾で大勢の人がなくなったこと、平和を願ってお花をあげていると説明し、自転車は少し後ろにしてほしいと頼みました。その子は、「広島、長崎に落ちて、東京は大丈夫だったの」と聞いてきます。賢いですね。東京は原爆ではなくほかの爆弾が落とされ、たくさんの人がなくなったと説明しました。2年生にも十分伝わると改めて実感しました。被爆者の会「親江会」は、学校への語り部の活動を続けています。今年は、松本小、鹿骨小、鹿骨東小を予定しています。