古今亭菊太楼の原爆落語
古今亭菊太楼さんの原爆落語はまだだれも取り組んでいない創作落語でした。その経過をご紹介します。
江戸川区南葛西在住の落語家、古今亭菊太楼です
「今年は終戦から八十年。原爆が広島と長崎に投下されてからも八十年。実は私の両親は長崎出身、特に母は長崎市内でしたので子供のころ被爆しました。これまで原爆の事は他の人よりも身近には感じていたものの、それほど考えたことはありませんでした。しかし、今年の三月、ある方の主催でタワーホールで落語会を開いていただいたんです。その会に来てくれていたのが、妻の母の健康麻雀の友達で、江戸川区の被爆者団体の会長、山本宏さんでした。「菊太楼さんは被爆二世なんだって?」「被爆二世?」初めて聞いた言葉でした。「八月に原爆展をやるんだけど、手伝ってくれないかな」「私でよかったら」ふたつ返事、自分でも驚く。初めての会合で、「原爆の落語をやってくれないかなあ」「えっ?原爆で落語?頑張ります」またしても二つ返事。ということで、八月の原爆展で私は原爆をテーマにした落語をやることになってしまいました。果たしてどんな噺が出来上がるか。他にも山本会長と弟さんで元広島カープの監督、山本浩二さんの対談、原爆をテーマにした映画の上映、原爆の絵の展示、盛りだくさんの原爆展。「被爆者が伝えたい平和の願い」に是非この機会に触れてみて下さい」
約15分の新作落語、8月6日は広島の原爆投下8時15分、8月9日は長崎の原爆投下11時02分とそこだけは変えています。どう表現するか試行錯誤を繰り返したと、本人は話しています。被爆2世という認識はなかったとのこと。NHKテレビ(9日6時45分の首都圏ニュース)とテレビ朝日(11日午前中放送)のインタビューに応え、母親から原爆のことは聞いていなかった、少しでも原爆に関心を持ってもらいたいし、核兵器をなくすことを願っていると話しています。
落語は、フィクションと断りながら、主人公の私は山本宏、タイムスリップした広島・長崎で助けた子どもは西村たかし、と設定。原爆で母親は死亡するが死ぬ前に会えたこと。瓦礫の下から助けたたかしに母のお守りを渡して励ましたこと。宏が現代に戻り、手術をするお医者さんがたかしにあげたお守りを父親から譲りうけ大事に持っていたというお話です。最後に「原爆は落ちても、お守りは落ちません」と、オチをつけて終わりました。大きな拍手を送りました。菊太楼さん、本当にありがとうございました。
菊太楼師匠は、落語の寄席に10日までトリで出演しており、9日と10日は合計100分の演目を演じるという多忙な中での原爆展出演でした。