山本宏会長と山本浩二さんとの対談

山本浩二さんは、広島カープの元監督で著名な方です。対談の日も、夜は野球解説の仕事をするという忙しい中での兄弟対談でした。また、兄弟の他に、原爆落語の菊太楼さんと落語評論家の寺脇研さん4人の対談でした。寺脇研さんはもと文部官僚で「ゆとり教育」推進で現場を大混乱させた人ですので、落語評論家としての登場に驚きました。

 

山本宏さん(小学校2年生で被爆)と弟の浩二さんは9歳の年の差があります。1年生までは満州にいて、2年生の時に広島に帰ってきて被爆。浩二さんは父親が広島カープファンであったことから、プロ野球のドラフト制でカープに入団できるかはらはらしたとの思い出を語ってくれました。小さいときから野球一筋の山本浩二さん。兄は昔から無口で口下手。無口な兄が原爆のことを話し、会長を引き受け、「原爆展」をやるというので驚いたと。8月6日はピースナイターをやった。スポーツ好きな広島。野球を通して被爆者に喜んでもらう。

山本宏会長は、8月6日は一番いやな日で、報道のスイッチは切っていた、広島から離れる生活、絵を見るのもつらい。親江会に手記を書いて、話すようになった、署名、核兵器禁止条約の成立、ノーベル平和賞受賞、戦争は大変なこと、浩二は被爆体験は聞いていない、選手18年監督10年。カープが優勝した時は市民がテレビをくぎづけで見ていて、街頭にはだれもいなかったことが印象的と宏さんが語っていました。

菊太楼さんは、母親が4歳で被爆。差別されるから原爆の話はしない。被爆二世、改めて認識した。全く知らなかったと。

広島から離れる、話すと差別されると口を閉ざした被爆者の辛さが伝わります。

寺脇研さんは、被爆50年の時に広島県教育長。当時はいじめ対策が大変だった。自殺させない。長崎のある大学は月1回の平和学習を実施。高校生に話している。「怒りの広島、祈りの長崎」ともいわれる。

司会者から平和への想いを聞かれた4人のまとめの言葉を紹介します。

山本浩二:「野球を通して平和を伝えてきた。兄がこういうことを始めたのは信じられない。風化させてはいけないという思い、尊敬します。口べたの兄を応援します」

菊太楼:「落語を聞いている世界、それが平和、そういう社会に」

寺脇研:「原爆ドーム世界遺産に反対したのはアメリカと中国。原爆で韓国人もなくなっている。在日コリアンの映画を作る。仲良くすることが大事。

山本宏:「区内の被爆者はかつては500人いたが、今は100人を切る、全国では10万人をきる。最後に何か残しておきたいと原爆展を企画した」